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008 サ ォ モ ン ラ

3月のある朝だ。私はマンダレーに泊まっている旅館の庭のなかにあるベンチに腰掛けていた。マンダレー市内と近郊はだいたい訪問したので今日はどこへ行ったらよいかと考えていた。その時、旅館のマンネジャーに、「今日、シュエサヤンパゴダ祭りへ行きませんか。たのしい祭りですよ。」といわれた。私の心の内を彼は知っているようだ。

「どこにあるの?」
「マンダレーピャインオールイン道路で行って、チャウッミー村に別れていく道ですよ。パゴダはドッタワデイ川のそばに立っている。回りの景色が大変きれいです。パゴダ祭りの時はマンダレーからも隣の村村からも人がおおぜい来ます。」

私は面白くなった。シャン山々のふもとの川のそばに建っている小さなパゴダ。景色が美しいだろう。地元の人々のパゴダでの様子を見てみたいと思った。

「どう行ったらいい?」
「セッチャテイハパゴダの北側の門の前にはシュエサヤンへ行く車があります。11番バスも走る。」

それで、サイドカーでそのバス停へでかけた。
11番バスに乗るのは大変そうだ。人がいっぱいで込んでいた。小さいほうのピックアップには人はあまりいない。バスより車代が高いそうだ。私は運転手の横の席にかけた。車はなかなか出発しなかった。人がいっぱいになるまで待っているらしい。
しばらく待つと車に人がいっぱいになったので出発した。まもなく車はマンダレーピャインオールイン道路を走っていた。アウンピンレー土手を走ると涼しい風が吹いてきた。左側には緑色の水田は山のふもとまで続いていた。右側には新しい町の家々が並んでいた。

「僕が若いときは牛車でこの祭りへ行くことがあったよ。牛車も人も多い。本当にたのしかったよ。」

と運転手が車を運転しながらわたしに言っていた。

「このごろは牛車で行かないか?」
「牛車はもう止めたのです。道路の上に牛車を走るのは禁止だから。」

車で行く方が速いのに牛の首にかけたベルの音を聞きながら、牛車で行ってみたいと思った。
パゴダ祭りへ行く車はパゴダの門のそばにある広い場で止まった。どこへ見ても車がいっぱい止まっていた。パゴダの門へ行く道の両側には店が並んでいた。
シュイエサヤンパゴダは高くそびえていた。隣の寺院に入ってきた。なかにある仏像を拝んだ。寺院のなかの壁と柱は鏡の部分で飾ってあったのでぴかぴか光っていた。座ってゆっくり休んでいるいなかのおじいちゃんに自分で紹介してパゴダの歴史をたずねてみた。

「千年前のバガン時代のアノヤタ王の一人の女王であるサォモンラ王女がこのパゴダを建てたとミャンマー歴史本で書いてあった。でも、王女はパゴダが出来上がった後まもなく亡くなったそうです。」
「どうしたのですか。」
「このように聞いた。サォモンラはアノヤタ王の女王としてバガン宮殿で住んでいたころです。彼女は仏様の仏舎利を耳飾の中に入れて耳に飾ったのです。夜になるとその仏舎利から後光が出てきたそうです。彼女の部屋から後光がひかっているのをみて宮殿の人達はこの王女は魔女に違いないと王様に申し込みました。」
「それは、サォモンラ王女はシャン州のテインニソォブウアのお嬢さんだし、綺麗なシャン族人女性だから王様が彼女を本当に愛しているのをみて、他の女王たちが悪い気持ちで悪口したのかもしれません。」

とおじいさんの奥さんみたいなばーちゃんも言った。
おじいさんが話しを続けた。

「王様は考えないでサォモンラを国から出掛けて行くようにさせました。彼女と女中達は何も分からないですぐバガンの都から出てきました。父親がいるシャン州へ帰るつもりです。
今のパゴダがある所の川下の川を歩いて渡るときには王女がロンジーが水に塗らないように頭の方へ上げようとしました。そうすると、仏様の仏舎利が入っている耳飾は空へ飛んで行きました。仏舎利というのはえらいものだから女のロンジーにかぶられることはできませんから。
空を飛んでいる耳飾の上に多いのすすめが飛んできてかげをしてあげたそうです。
サォモンラ王女は"この仏舎利を安置してパゴダをたてます"と約束をしたので耳飾は空から地面へ降りてきました。そして王女は仏様の仏舎利が入っている耳飾を安置して今見えるパゴダを建てたのです。すすめが飛んできてかげをしてあげたことを記念としてパゴダの名前をシュイエサヤンとなつけました。」
「おじいさん、王女は主人である王様に出掛けようにさせられたのを悲しく感じてなくなったのですか。」
「それだけではありません。サォモンラはパゴダを建てているということを聞いて、王様が"あのパゴダの門はわたしがいるバガン都の方(南の方)へ向くと放せ、自分のふるさとであるシャン州の方(北の方)へ向くと殺せ"と命令して役人達を行かせました。
実は王女がシャン州へ向いてパゴダの門を建てたのです。でも、王様がほしているとうりにしようとおもって自分が間違いがしなかったのを本当の話としてパゴダをイマーレルの肩掛けでしめて回せるとパゴダの門が回って、今見えるようにバガン都の方へ向いていたのです。」
「それで、王様は彼女をまた宮殿へ呼びましたか。」
「そうしなかった。"放せ"だけ命令したのです。サォモンラも王様が彼女を都へ呼ぶのを望んだらしい。でも、呼ばれなかったのでシャン州へ旅をつづけました。とちゅうで感動してなくなったのです。」

私は心の中で悲しい気持ちになった。何の過ちもしなかったのに、主人に捨てられてしまった、なんてかわいそうな王女だろう。
悲し気持ちを抱きながら、ドッタワデイ川の方へ出てきました。あるおじいさんの小さい船に乗って"ナダウンチャ川"へ行った。

「なぜ"ナダウンチャ川"と呼びますか。」

船のおじいさんに聞いてみた。

「サォモンラ王女は耳飾がなくすと川の水に落ちたと思って女性達と一緒に急いでみつかったのです。"耳飾が落ちた川"という意味です。実はその耳飾は仏舎利の仏力で空へ飛んで行ったのだそうです。」

"ナダウンチャ川"は"ドッタワデイかわに流れ込んでいます。この所から見ると、まわりの景色が美しい。一人の女性はクッリップボードの上に景色の自然美のスケッチを書いていた。その絵にはパゴダが一番上の部分だけ木の枝の中にみえます。後ろには茶色の山、そしてバナナの畑、マンゴーの林、人々の通る道、近いにはナダウンチャ川、遠くには、祭りへいっている人達。
自己紹介した後で、聞いてみるとシンガポールからの美術学校の学生だそうだ。お父さんはシンガポ−ル人、お母さんはマレーシア人。
帰りには川の上にはお客さんたちの船が多くて、にぎやかだ。お互いに冗談をしていた。

「祭りへ来るお客さんが多いですね。」
「ええ、マンダレーからもまわりの村からもきたので。このパゴダを建てたサォモンラ王女も祭りのときは人間の姿をとって礼拝に来る年寄りから聞いたことがあります。」
「へエ、ほんと。」

祭りへ来た女性達の中で、誰がサォモンラだろうか見てみた。
船が岸に着くと早速露天の方へ行ってみた。いろいろなミャンマーのお菓子が売っています。様々な種類があるのに使う原料は一緒だそうだ。だいたいお米とか糯とか棕櫚の黒砂糖で作った食べ物だ。そして、筍の漬物、やしの木の葉ぱで作ったビーズ、うこん、生姜、薬になる樹木など。子供のため、竹で作ったクレッパー、瓢箪で作った水びんなど、いなかの生産品。
帰りの車の中でさっき出会ったシンガポールからの女性にまた会った。彼女もサォモンラ様なのかもしれない。 

written by ココ