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014  ミ ャ ン マ ー 鉄 道 の 魅 力

私たち外国人には外貨でしか運賃が払えず、 1 時間や 2 時間程度の遅れは遅れとはいえない、ミャンマーの鉄道。私たち日本人には信じられない話だが、都会の香りを充満させて目的地へ向け、わき目もふらずに一直線に通り過ぎていくのでは、本当の姿は見えないよ、といわんばかりにマイペースでわが道を行くのもミャンマーの鉄道。そんなミャンマーの鉄道の一部をご紹介したい。

1.日本からの「助っ人」気動車
 
ヤンゴン市内をぐるっと一周する全長 45 kmのヤンゴン環状線。全線複線で、 38 の駅を丹念に停車して所要 3 時間で帰ってくる。アメリカ製のディーゼル機関車がイギリス植民地時代の気動車を客車にした車両を 10 両前後連ね、平均時速 20 キロという、のんびりとした速度で走る楽しい路線だ。

このヤンゴン環状線に 2003 年から日本の気動車が「助っ人」で走り出した。出身地は名古屋鉄道(愛知県)で使われていた、キハ 20 ・ 30 形の計 9 両。現在は 30 形 4 両( 31-34 )が主力で、 20 形 5 両(ミャンマーでの形式は RBE2501-05 )は予備に回り、インセイン車両工場で昼寝しているが、日本時代の姿のまま、遠く離れたヤンゴンの地で、おそらく日本時代には乗せたこともないくらいたくさんのミャンマー人を乗せて、ヤンゴン中央―インセイン・ミンラガードン間の朝夕ラッシュ時の輸送力列車として、或いはトウチャウカリー支線の機関車代用として、その特徴を遺憾なく発揮して走り回っている。確認した限りでは、 6:45 ・ 8:50 ・ 11:45 ・ 14:50 の 4 回ヤンゴン中央駅に姿を見せていた。

車体カラーも車内の「優先席」表示も、「明智」「八百津」「碧南」などの行先幕に至るまで名鉄時代のままで、日本人が日本の気動車をヤンゴンで撮影している自分がおかしい。まだまだ日本から車両がお興し入れするそうだから、そのうちミャンマーは日本人レールファンの聖地!?になるかもしれない。但し、ミャンマーの鉄道は「撮影禁止」である。ヤンゴン中央駅は、 5 月の爆弾事件以来、軍や警察によりかなりの撮影制限がかかっているので、ミャンマー鉄道省から「撮影許可証」を取得のうえ( PLG トラベル&ツアーズで取得代行してもらえるので利用価値大)、日本語ガイドと同行で撮影するのが、トラブルを避ける一番いい方法だ。
 
2. バゴーの「現役」蒸気機関車
 
ヤンゴンの北東約 70 kmにあるバゴー。シュエリャータウン寝仏など、ヤンゴンが日本の東京に対して、バゴーは鎌倉に相当するような、寺院の多い、典型的な地方都市だ。

ここには、何と蒸気機関車が健在。といっても、以前、ここのコラムで紹介されたような人間を乗せる列車は 3 年程前に消滅して既に無く、今はバゴー−モダマ(またはモルミャイン)間で砕石列車、または貨物列車として不定期で運転されている。

ヤンゴン 7:00 →バゴー 9:00 の急行列車に PLG の T さんともに乗り込んだ。事前に T さんから「運転日が決まっていないし、突然の故障で運転していないかもしれませんよ」と言われてはいたが、ぶっつけ本番で現地へ乗り込んで行ったのだ。

喧騒が渦巻くバゴーに遅れずに到着、いつみてもミャンマーの駅は賑やかだ。…とその側線に国内で 13 両しかないという残存蒸気機関車の 1 両・ YD 969が煙をもくもく吐いて出発を待っているのが視界に飛び込んできた時、それまでの不安は吹っ飛んだ。

緑の芝生と化した構内に、時折、蒸気の漏れる音が賑やかな構内に響く。ここで蒸気機関車は「いつもの光景」なのであって、汽笛を鳴らしたところで振り向く人はいない。確か 9:45 くらいの発車だったと思う。遅れているのが常だから、定刻は、 9:30 頃だったかもしれない。

ミャンマーの人はゆったりとした時間の中で思い思いの姿で生きているから、発車しない!、と慌てているのは自分くらいなもので、やれ、SL「○×号」運転と聞くと、沿線に狂ったように群がり、時刻表どおりに来ない、となればヒステリックに叫び、マナーもへったくれもない日本のマニアは 1 度、ミャンマーに来られると良いかもしれない。

雨季のミャンマーでは出発前に残念ながら大粒の雨となり、困ったな、と感じたところ、信号所の係員がこっちへ来い、と手招きしてくれる。見晴らしのいい信号所から見下ろすように出発する機関車を撮影できたのは、まさに運が良かっただけだ。自分の野望というより無謀を深く反省。大雨の中、カサを差して「撮影アシスタント」させてしまったガイドの T さん、今更ながらにありがとう、といいたい。

3.名物・ヤンゴン行 64 列車!


ヤンゴンの北西 300km に位置するピイ。ヤンゴンーピイ間を結ぶ、急行・ピイ行 71 列車は 1 日 1 本のみの直通列車だ。ヤンゴン 13:00 →ピイ 20:00 の所要 7 時間かけて走る列車であるが、ヤンゴンを起点に行動する初心者には時間がかかり過ぎてややキツイ。第一、当日中にヤンゴンに戻ってこられないリスクがある。しかしながらせめて途中区間まででも楽しみたい、という方には、この 71 列車に乗り、ピイまで行かず、途中のローガーで下車し、数分後に交換(列車がすれ違うこと)する、ヤンゴン行 64 列車にて折り返せば、ヤンゴン着 17:30 (時刻表上)と、半日で帰ってこられる。所要往復約 5 時間の旅だ。知人から、この 64 列車は凄いぞ、鉄道の原点だよ、と散々聞かされてきた私にとって、まさに望郷(大袈裟かな?)の喜びだったのだ。

71 列車がローガーにつく。交換の 64 列車を待つ私の背中には、いつのまにか集まった興味津々の子供たち、いや大人までもが私のカメラや DVD をしげしげとみつめている。撮影の構えするともう大変な騒ぎ。オレを撮れ、いやオレだ、とちょっとした撮影会となってしまう。

「何だあれは!?」

思わず甲高い声を上げた私に周囲の人垣がケラケラと笑う。…その 64 列車は、機関車を先頭にミャンマー人を満載した客車を連ね、ゴトンゴトンとジョイント音を響かせてやってきた。噂には聞いていたが、何と客車の後ろに貨車を4両ばかり連結している。季節の果物や野菜、ジャガイモ、米袋がそれこそ貨車から落っこちんばかりに積まれ、その僅かな空きスペースに人間がしがみついている。

「人馬一体」ならぬ「人鉄?一体」となったこの 64 列車、到着するや否や、待ち構えていた家族が一家総出で次々と荷物積み下ろしが始まる。停車時間は僅かだからまさに戦場の様なけたたましさだ。よく見ると生きた鶏や子豚が籠に入れられて鳴いている。その後ろには荷物・郵便車も連結し、まさに何でも運ぶ、日本でも遠い昔に見られた、鉄道の原点・「よろず屋」的光景がヤンゴン近郊で当たり前に見られるのだ。

客車に入ったところで電気はないし車内は薄暗い。第一超満員だ。ならばデッキから撮影を…と考えていた野望はわざわざスペースを作って座らせてくれたたくさんの乗客によって見事に潰れてしまった。丁重にお断りしてもきかない。おかげでヤンゴンまで質問攻めに遭い、写真どころではなくなってしまったのだ。

それにしてもミャンマーの人は何故、こんなに外国人に親切なのだろう。日本では席を譲るなんて、それこそ車内放送したって聞く耳持たないのに。きっとゆったりとした時間に身を任せ、自然に逆らわずに生きていると、当たり前のことになってくるのかもしれない。ミャンマーの鉄道はそんな人々の生き様を、余すところ無く見せてくれる代表例かもしれない。しかしながら、それでも時々すれ違う列車が気になって会話に集中できない自分はバカンス小国・日本から来た、紛れもない日本人だった。

(写真と文章:斎藤 幹雄)