マ ン ダ レ ー と 周 辺

 HOME Travel Destination Mandalay

Menu ■

目的地(一覧)
マンダレーと周辺
│├マンダレー
│├アマラプラ
│├インワ
│├ミングォン
│├ザガイン
│├タウンビョン
│├モゴック
│├モンユワ
│├ピンウールィン
│└ティポー
ヤンゴンと周辺
バガンと周辺
インレー湖と周辺
├ビーチ・その他
辺境・フロンティア


現地生情報・マンダレー
マンダレーのホテル一覧

目的地
オススメ情報
少数民族
旅行ルート


基本情報
旅行情報
プラザ
ニュース
現地生情報(ブログ)
ツアー情報
about us
 
 


マンダレー
マンダレー王宮城壁
ヤンゴンからイラワジ川にそって北へ約720km、この国のほぼ中心にある、ミャンマー第2の都市。ミャンマー最後の王朝があった街でもあり、広い旧王宮と碁盤の目のようにはりめぐらされた街路からなる。現在は中国系ミャンマー人が多く暮らし、中国貿易の拠点ともなりながら急激な発展を遂げている活気のある街だ。地理上、民族上からも、ミャンマー文化の中心地です。

街の中心は王宮の西側から、マンダレー駅西側にかけて広がっている。ホテルやレストランもここ一帯に集中している。ここ一帯に泊まると観光にも便が良い。ここにマーケットも有り、さすが、ミャンマー最大のマーケットであり、規模が非常に大きい。夜も、民族芸能を見せる見世物小屋や博打屋など、露天がたくさん出るので、その活気は衰えない。
入域料10

 


マンダレーヒル  

マンダレーの北に位置する海抜236mのマンダレーヒルは丘全体が一つの寺院になっています。マンダレーの北に位置して、階段で登れば1,729段を踏み上がることになります。頂上まで車で登ることもできますが、途中下車して山の中盤から登り道沿いに並ぶ占い師の軒で占ってもらったり木彫り物売店や白檀材のお店などを楽しむ事ができます。また、頂上までの間にある幾つかのお堂内の仏教伝説的彫刻やコンクリート芸術作品などを見学して少し疲れを感じたら軽食店でそよ風に吹かれながら汗を乾かすこともできます。自然塔とも言えるマンダレーヒルの頂上に辿り着くと旅の疲れを癒せる美しい景色が待ち受けております。頂上からマンダレーと周辺の全貌が手に取るように見渡せます。
 
マンダレー王宮

1859年にミンドン王が首都をアマラプラからマンダレーへ移すときに建てた壮大な王宮です。宮殿内にはチーク材で造られた114の建物があってアマラプラ王宮で使われた木材で組み立てられました。王都は城壁に囲まれて城壁に四つの門があります。当時の王都には王族や官僚の住居、給水システムや道路、木陰の多い遊園や水泳プール、ミンドン王専用馬や象の小屋、警備の歩兵隊、騎兵隊、弓兵隊や砲兵隊の施設、王座の殿堂、僧院や寺院などの素晴らしい設計で建設されました。またミンドン王の住居や王座の殿堂装飾は当時の優秀な技術者達によって装飾され、壁や柱まで純金箔で貼られた豪華な建物でした。残念ながら1885年第三次英緬戦争後ミャンマー最後のテイボー王と王妃は王宮からインドに追放され、王宮は英国軍の基地となりました。第二次世界大戦中王宮を含む要塞は日本軍に転用され、1945年にイギリス軍の激しい爆撃によって完全焼失されました。1989年に複製建設の作業に取り掛かって現状の王宮になりました。
 
マハムニーパゴダ
 



ミャンマーで最も名高い、高さ4mのブロンズ製仏像でマンダレーの重要な仏像として知られています。200年程前にボードーパヤー王がミャンマー西部のヤカイン州から運ばれて来た為ヤカインパヤーとも呼ばれています。長い歴史の間、お堂に納められている本尊にあたるマハムニ仏像は銅製だった為、火災や戦争災害などの難を逃れ、再び人々の寄進によって金箔で覆われています。観光客や一般の人々も金箔を貼る事ができますが、女性の接触は禁止されています。100年ほど前に火災で焼けてしまった境内は現在比較的新しくなっていて、建物もいくつか建てられています。中にはカンボジアから運んできた6体の人間やライオンの銅像が置かれている建物があって、その像に自分の身体に具合が悪い部分と同じ場所を撫でると効果があると信じています。パゴダへの参道沿いには地元産品や工芸品の売店などがずらりと並ばれています。



 
シュエナンドー僧院


コウンバウン王朝のミンドン王の住居だった豪華なチーク材建物で、現在は数少ない木造僧院の1つとなっています。貴重なミャンマー式建築工法で造られて非常に手の込んだ彫刻が建物の外壁や内側、屋根や扉まで飾られていて建物その自体こそが1つの見事な芸術作品となっています。元々は宮殿内に建てられて、ミンドン王の死亡後に後継者である息子のティボー王が現在の場所に移し僧院として寄進しました。

 
クトドーパゴダ

マンダレーヒルの麓に位置する白いパゴダ群は世界一大きな本とも呼ばれています。第五回仏教会議の記念としてミンドン王によりマンダレー王宮の建設と同時に造られたといわれています。中央にはバガンのシュエジーゴンパゴダを真似て造られたマハローカマラゼィン仏塔が立てています。中央の仏塔を729基の小仏塔が囲んでいて、各小仏塔に仏典を刻んだ石版が一枚づつ収められています。ミンドン王は経典をすべて石版に刻む作業を2400人の技巧家僧の協力を得て6ヶ月間かけて行われました。経典を刻んだ石版の大きさは縦1.5m,横に1.1mと厚さ15cmあってすべての石版を縦に重ねますと20階建てビルの高さと同じ高さになると言われています。
 
アトゥマシー僧院

王宮から車で10分程の距離に位置する僧院はマハアトゥラウェイヤン僧院とも呼ばれて1857年にミンドン王の命令によって建立されました。アトゥマシーと言う名は「比べ物などない」と言う意味でミンドン王の最後の宗教的建設物となって246本のチーク材柱が使用されました。僧院の高さはおよそ35mあって、当時は院内に高さ9m程の木造仏像が納められていました。仏像の額には約30カレットの大きなダイヤがはめられて、他にも多数の宝石で飾られたらしいです。しかし、イギリス殖民地時代に破壊され、そのまま放置されました。1996年にミャンマー考古学研究局により再建されて現在の建物になりました。
 
チャウットォジーパゴダ

マンダレーヒルの麓に立つ2頭のライオンの斜め向かい側に位置する大理石仏像もミンドン王によって1864年作られました。正式な名前はマハタチャマーラゼィンパゴダです。大仏を作るのにマンダレーの北12マイルのザジン山岳から生産された巨大な大理石が使用されて、その原石を運ぶのに一万人の労働者が2週間かけたと言われています。大理石仏像のために特別に造られたミャンマー最大の石造鉢も置かれています。大仏を彫刻するときに出てきた破片で彫られた80人の上層の僧侶達の石像も境内の周囲に各別の寺院で納められています。
 
サンダームニパゴダ

ボードーパヤー王が建立して、1866年に暗殺されたミンドン王の弟カナウン王子のお墓が置いてあるサンダームニパゴダには1774の小仏塔にウーカンティ師と国民が結合して造った石版仏経典が納められています。毎年10月下旬にパゴダのお祭りが開催されています。
 
シュエインビン僧院

100年以上前に裕福な中国人商人が寄付したラダナーボン時代後半スタイルの木造僧院もミャンマー有数の木造建築式建物の1つです。僧院の下の部分は仏教の安息日厳守者の休息所となっていて上部にはお坊さんたちが生活をしています。建物に取り囲まれた彫刻は見事な芸術作品ばかりで残念ながら外側の木彫りなどは長い年月日をかけた雨風の影響によって薄くなっています。
 




アマラプラ

マンダレーの南11km、エーヤワディー川沿いにある、ボードパヤー王時代の古都である。アマラプラとは、不死の町と言われ、二度も王都として栄えた都市である。王宮跡や、パトドーヂーパゴダ、チャウットーチーパゴダなど、かつての王宮の名残を残す物もあるが、ここでの圧巻はウーペインブリッジである。長さ1,200m程の木造の橋なのだが、行ってみなければ解らない、不思議な空間である。この島まで乾季には陸続きになるが、雨季には大きな湖となる。地元民の釣りをする姿や、自転車を押す人々。すべてが絵になる風景である。
 
マハガンダヨウン僧院

タウンタマン湖を背向したマハガンダヨウン僧院は約1000人近くのお坊様が修業生活を送っているミャンマーで最も大きくて有名な僧院の1つです。外国人観光客の見学も歓迎して受け入れている為、ミャンマーのお坊様達の日常的生活風景がご覧になれます。寄進者が僧院のお坊様全員にお昼食を提供する時と偶然会えば千人の僧侶が一斉に托鉢する感動的な場面を見ることができます。
ウー.ベイン橋

アマラプラの主な観光スポット、ウー.ベイン橋は西暦1849年に王都をインワからアマラプラに移す時に使用されないチーク材を旧王宮から出して当時のバガン王の命令に従って市長職員であるウー.ベイン氏が造りました。全長1.2kmあってかなりのチーク材量を使って架けられたウー。ベイン橋は世界一長い木造橋として知られています。総柱数1086本、482区画と4つの休息所で組み立ったウー.ベイン橋は150年程の歴史を持ち、現在も活躍されています。ウー。ベイン橋周辺は外国の方々の観光スポットだけではなく地元の人々の為にもピクニック.スポットとしても好評されている名所です。
パトードジーパゴダ

アマラプラの東南にあるパトードジーパゴダはバジード王によって1820年にスリランカのマハゼディー仏塔をモデルとして建てられました。仏塔は円周180m、高さ180mあって、旧王宮の近くに位置しています。テラスは2段と分かれていて上段から見える周辺の景色はとても素晴らしいです。境内には仏塔の由来について詳しく刻まれた石牌が置かれています。
チャウットォジーパゴダ

マンダレーのチャウットジーパゴダと同じ名前なのですが、アマラプラのパゴダの正式な名前はマハタチャランティパゴダで、1849年にバガンのアーナンダ寺院を原形として建てられました。バガン王の寄進によって建設したパゴダの内部はアーナンダ寺院とちがってお堂の天井にアマラプラ時代の壁画が描かれてあります。一個の大理石から彫刻された仏像がお堂内に祀られています。
 


インワ

タドウミンビャーによって1364年に建立され、約400年にわたって都として栄えた由緒あるミャンマーの古都。しかし1838年の大地震によって大きな打撃を受け、遷都の憂き目にあった。今もその傷痕を随所に見つける事が出来る。見所は、王宮の名残を見る事が出来る城壁、高さ27mの物見の塔で、周囲を一望できる監視塔、王都時代の名残を残すマハーアウンミェ僧院、チーク作りのとても立派なバガヤー僧院などがある。
トラックバスで約1時間。終点で渡し舟に乗る。馬車をチャーターして回ると良い。相場3000K(2007年1月)。入域料$3。
 
マハアウンミェーボンサン僧院

バジード王の王妃であるナンマドメヌが1818年に自分が尊敬する修道僧院長のために造った僧院です。当時の僧院建設は木材使用が一般的ですが、珍しくこちらの僧院だけが煉瓦造りになっていて、ナンマドメヌ王妃が亡くなった後1838年の大きな地震に被害を受けた為、1874に娘であるシンピューマシンにより修復されました。
バーガヤー僧院

1834年にバジード王により建てられた総チーク材作りの華麗な僧院です。中央堂の天井は3階層になっていて、東部の天井は7階層になっています。建物は全体的にミャンマー古代式彫刻模様で装飾されていて、ミャンマー有数の貴重な木造僧院の1つであります。僧院の周りは背の高いヤシの林に囲まれていて、天井が高い為暑い季節でも僧院内に足を一歩踏み込めば、涼しく感じるはずです。現在も修道僧院長とお坊様方々が日常的に修業しながら地元の子供達に学校教育を教えています。


ミングォン

マンダレーからエーヤワディー川を上流へ11km、船で1時間ほど北上する。そこには、完成していれば高さ150mの世界最大のパゴダとなった未完のパゴダ、ミングォンパゴダやビルマ最大の鐘、ミングォンの鐘、前面真っ白の美しいパゴダ、シンピューメェがある。ミングォンパゴダの頂上からは、遠くマンダレーまで静かに流れる、エーヤワディー川を一望する事が出来る。ぜひ一度は行って欲しい。マンダレーの船着き場よりボートで往復2時間半、9時半出発、500K。 入域料$3。


 
ミングォンパトウドジーパゴダ

1790年にボードパヤー王が建立し始めたパトウドジーパゴダは世界最大のパゴダに造る予定だったが、「パゴダが完成したら国が崩壊する」と言う予言が流行った為、完成させずに建設中止となりました。長い年月日の間、地震などの被害で大きなヒビが入ってパゴダの上部が崩れ落ちました。ミャンマーで最大級と言えるパゴダの番ライオン2頭もエーヤワディ川の氾濫により、今は部分的な後姿しか見ることができなくなりました。パゴダには寄進者によって後から造られた階段があって、時間の余裕がある方は未完成のパゴダの上から遠くのマンダレーヒルやエーヤワディの風景を鑑賞することができます。
ミングォン鐘

鳴らせる世界最大のミングォン鐘は1808年にボードパヤー王がエーヤワディ川で中州が出来た時に模型をして造り、川が増水された時に筏を使って人力で現在の場所に運んできました。元々は完成すれば世界最大になるパゴダでつるす為に造られて、くちの部分の外径は約5m、高さ3.7m、重さがなんと90トンもあります。1839年の地震で上の部分にヒビが入ったが、いまだに鳴らすと音をちゃんと出しています。
 
ミャテインダン仏塔

真っ白なミャテインダン仏塔はバジード王が(ザガイン王子の時に)息子を産んで世を去ったシンピューメ王妃を偲んで造ったパゴダです。壁は丸い形をしていて仏教宇宙観図を模していて、建物の基部から上まで装飾された波形は仏教宇宙観図の山や海洋を表しています。中央の高い部分は須弥山を表現し、上に建つ仏塔は須弥山の山上にあると言われているスラマ二仏塔を表していて、王妃の寄進物で高価なエメラルドが安置された為ミャテインダン仏塔、或いは王妃の名前であるシンピューメパゴダと呼ばれています。


タウンビョン


マンダレーの北10kmにある小さな村で、ミャンマーの精霊神(ナッ)の聖地であって、普段の時期は何も見所などありませんが、お祭りの時期(毎年8月の満月の前一周間から満月まで)になりますとミャンマー全国の精霊神の信仰者たちが集まって来て盛大なお祭りが開催されます。
お祭りは、主にミャンマー土着神37人の内、家の守神以外に最も信仰されるタウンピョン周辺の守り神兄弟を祝う祭りです。その土着神兄弟の由来はバガンの統一された第一ミャンマー大国のアノォラタ王がシュエジーゴンパゴダを建設するときに国民全員も功徳を施せるため、国民一人に付きレンガ一枚を施すよう指令をだしました。王の戦友であるビャッタの息子2人は遊び人で飲酒してレンガ2枚を仏塔建設工事に施せなかったため、アノォラタ王に軽い刑罰を受けるように命じたが、二人の兄弟を憎む人たちに殺されて魂が土着神になったと伝われて来ました。バガンのシュエジーゴンパゴダに二人の兄弟が埋めるはずのレンガ2枚分が空いているところを現在も見ることができます。
ミャンマー各地の信仰者とともに見かけられるのが深いお化粧をして、きらびやかな服装をしているナッカドォと言ったオカマさん達。ナッカドォとは(ナッ)精霊神の(カドォ)夫人と言う意味で、そのオカマさん達の役割は精霊神(ナッ)に魂を移り代わられて、信仰者の願い事や相談などを聞いてあげたり、踊りをして精霊神を楽しませるなどです。お祭りの当日になると会場は大音量の音楽とともにあふれている人波で、会場内にある特別なお祈りする聖地のスペースまで進むのが必死でとても混雑しています。会場外にもミャンマー各地の特産品や生活用品などを売る店や祭り来客の仮設などがあってミャンマー地方の人々の生活風景を肌で感じることができます。

◆ タウンビョン祭りツアー
 


ザガイン

 
マンダレーから、エーヤワディー川に架るザガイン鉄橋を渡ると、前方に小高い丘に広がる無数の白いパゴダ群が見えてくる。小パガンと呼ばれる程多くの仏塔が建てられている丘、ザガインヒルに登ると、はるかマンダレーまで見渡す事が出来る。その他、王妃の胸をモデルにしたといわれる、カウンムードパゴダや銀製品の工場など多数の見所が有る。
マンダレーからトラックバスで約90分。アマラプラ、インワ、ザガイン行ピックアップが市内から随時出ている。



 
ザガイン鉄橋
ザガインの鉄橋
エーヤワデイ川を架けたザガイン鉄橋はイギリス工兵隊により1927年に建造されて、ミャンマー中部と北部をつなげる主な橋一本です。橋は全長1.5kmの高さ30m程あって、中央に鉄道線路と両側に一方通行の単線が走っています。第二次世界大戦中に日本軍が使用されない為イギリス軍が破壊し、1954年までしばらく修復せず放置されました。現在、ザガイン鉄橋は流通に重要な橋なので厳しく警備されています。
ザガインヒル

無数のパゴダで覆われているザガインヒルはザガイン町のちょっと外れたところに位置して頂上まで車で登れる小丘です。ザガインヒルには主な観光スポットとしてスーンウーポンニャシン仏塔、ウーミンコウゼパゴダとウーミントゥンゼパゴダが点在しています。頂上にあるスーンウーポンニャシン仏塔境内から東方のエーヤワデイ川やマンダレーなどの華麗な景色を眺められます。ザガインヒルはマンダレー周辺での宗教的な聖地の中心なので1年中参拝者で賑やかです。
スーンウーポンニャシンパゴダ
ピンヤ時代の1233年にティハトゥ王の高層部官僚であるウーポンニャが建造した仏塔であり、ザガインヒル頂上に位置する為、境内からエーヤワディ川の素直に流れている姿が美しく写られています。良天候の時には北方のマンダレーヒルまで見渡せることが出来ます。パゴダの元の名前は建造者であるウーポンニャの名前を採ってポンニャシンパゴダと名づけたんですが、奇妙なことにパゴダにお供え物などをいくら早く供えてもとっくに供えられていますのでスーンウー(最初に供えるお食事)ポンニャシンパゴダと呼ばれました。
 
ウミントゥンゼパゴダ

ザガインヒルの途中にあり、トンネル形になっていて、お釈迦様の30の才能をあてに30個の扉で造られた為、パゴダの名前自体がウミン「トンネル」、トゥンゼ「30」と名づけられました。内側にも45年間お脱法を挙げたお釈迦様をあてに45体の仏像が祀られています。ここからの眺めもとても素晴らしいです。
カウンムードパゴダ

ザガイン町の西方面、モンユァ行き道路沿いに位置していて、ザガインで最も大きくて有名な白亜パゴダです。1636年にタールン王がインワ古都再建された記念としてスリランカのマハゼディ仏塔を原形として建立しました。建設中にタールン王は亡くなり、あとを継ぐ息子であるピンタレー王がパゴダを完成させました。変わった仏塔の形であって、ある話では建造者であるタールン王の王妃の中から一番美しい胸の形をしている王妃の胸をモデルとしたとも言われています。境内にはパゴダの由来が彫られている石版が置かれていて、ミャンマー人女性が愛好するタナカーの売店をあちこちで見かけられます。
銀細工工房の村「ユァータウン」

カウンムードパゴダを訪れるついでに訪問できる、ミャンマーでも有名な銀細工工房のユァータウン村はザガイン〜モンユァ高速道路沿いにあります。ミャンマーの主な手細工工芸技術10種の内、バガンは漆手細工工芸について有名である同様、銀細工工芸品でユァータウン村は一流的に有名な村です。銀細工工房の精巧な手細工工程段階を最初から最後まで見学できて、できたての銀細工製品やアクセサリなどをその場で買うことができます。
 

モゴック


マンダレーの北西200kmに位置し、世界最高級のルビー産地として永年に渡って世界的有名な町です。ルビーやサファイアの鉱山業は町の周囲にある小丘や町のあちこちまで散らばって点在しています。ルビーやサファイアの原石は地下300メートル以上深い所に石灰石や方解石などに混合して発見される為、深くまで土や石の瓦礫を掘り出して人工洞窟を作らなくてはなりません。ルビーやサファイアの原石が発見できそうな深さまで人が下りて掘り出した土や小石等を地面に運んで、網目の細かい網を使って軽い物質や小石を水に流します。宝石の原石は重さがあるため、水に流されず網に引っかかった原石を採りだす方法で生産されています。鉱山業の多くは小規模な民営事業で政府と合併して生産している大手共同企業もいくつかあります。モウゴックは昔から宝石の地であってミャンマー各地から夢を構えてやって来た人たちや地元の人々で多民族町となっています。主にビルマ、リスー、パラゥン、シャン、パオ、ワ、コウカン、永住民のネパール人や他の少数民族が混じり合って暮しています。長い歴史を持つ町でありながら現代的な建物からシンプルな総チーク材使用古代ビルマ式家々も数多く残っていて町の様子と人々の生活ぶりが訪れる人たちに19世紀のアメリカ金鉱山業町を想像させます。
 


モンユアタンボダイ寺院

マンダレーから北西に136km、ピックアップトラックで3時間ほどの北上したところにある、小さな古都と呼べる場所である。ここには、マンダレー以上に貴重な仏教遺跡が数多く残っている。大小の丘にはいくつものパゴダが連なり、パゴダを見飽きた人でも、しばし感動を覚える事が出来るでしょう。その中でも、タンボダイ寺院は特にオススメだ。非常にユニークな寺院で、内部の壁は約8,000もの小さな仏像で覆われ、外部には小さな何十という小さなパゴダが、中心の大きなパゴダを囲みながら屋根を覆っている。近郊には、漆器生産のさかんなチャウカー村や、14世紀の寺院群モニャン師が1301-1313年までかかり建立した、582,363体の大小様々な仏像が内に外に並ぶモニャンサンボーディ・パゴダのある、タンボーディや、11世紀の岩の回廊と洞窟寺院群が山全体にある。チャンネンオン・パゴダ、マハミャムニ・パゴダ、シナマアンアウン・パゴダ、シュエターリャン・パゴダ、など岩山を削って仏像を作り、お堂が岩山全体という荘厳な作り。紀元411年に始まる。洞窟内部の壁画も見事に修復されている、ポーウィンタウンなど、多くの見所がある。マンダレーまで来て、余裕のある人はぜひ。
市内のミニバスステーションから。早朝から随時。バス500K、3.5時間。

アラウンドカッタパ国定公園


ザガイン管区のモンユワから約95キロ、釈迦の高弟カッタバが涅槃に達したという伝説のある洞窟があります、洞窟まで約2.4キロは歩かなければなりませんが、象に乗っていくことも出来ます。またこのいったいは貴重な野生動物の保護地域となっています。(入域許可が必要)

チャッテイン野生動物保護区


この野生動物保護区では、ミャンマーにしか生息していない「金色の鹿」とよばれる種類の鹿も生息していて、象も観察することが出来ます。(入域許可が必要)


ティポー

マンダレーとラショーの間にあるシャン民族の町です。長い歴史を持つ藩地としても知られています。とりたててこれといった見所はありませんが、それゆえに、素朴な町並みと人々は、他の町とちがった魅力を感じさせる。ミャンマーでゆっくりしたいという方におすすめで、とくに片道は列車をうまくご利用いただきたいのである。ピインウールインとティボー間にあるゴッティッ鉄骨橋は世界第2位を誇る高さをもつ列車専用橋でイギリスによって1903年に架けられました。遠いどころから見える鉄骨橋の風景は素晴らしく、ゆっくりと渡る瞬間はスリルでわくわくと感じさせます。町は歩いて回れる程の大きさで、気候も過ごしやすいので歩いて町を散策するのも良いでしょう。主な見所として、1924年に建てられたティボー藩主(ソボァー)の藩邸はイタリアの大理石やチーク材で豪華に造られた西洋式建物です。町のすぐ北に位置して、現在の藩邸主はティボー藩主の子孫で外国人に大変親しくてティボー藩の歴史を語ってくれたり、町の周辺を案内してくれたりしていますので、外国人訪問者の間で評判されています。また、物価も非常に安いので、以前より欧米のバックパッカーには人気がある所で、居心地の良いホテルも多数あります。